ジェイムス オザワ|写真家

頭の中で描いていた世界に、たどり着いた

ー 行き先はどうやって決めたんですか?

たまたま親族がシドニーに住んでいたから、オーストラリア(笑)。飛行機に乗るまではRPGでワクワクしたんですが、着いてからヤバいと思いました。「行ったはいいけど、何を撮るんだろう」って。人種は違うけど、景色はそんなに変わらないし。RPGのドキドキする感覚を続けなきゃと思って、貯金を崩して大きめの車を買いました。中身を全部取り出して改造して、ソーラーパネルを付けて、ベッドを入れて。とりあえず大陸を一周して、そこまでして撮りたいものが見つからなかったら写真をやめようと思って。感覚的には、職探し兼旅行みたいな感じでした。

ー そんなに、ライトなものじゃないですけどね。移動中はどんな日々を送ってたんですか?

車の一人旅って果てしなく孤独なんです。2~3週間だれとも話さないこともあるし、せいぜいガソリンを入れる時だけ。ただでさえ国が広いし。最初は、内陸の炭鉱山みたいな街へ行って、そこにしばらくいました。異世界でおもしろかったんだけど、はまりきらなくて……。移動してから3ヶ月くらいが経つ頃に、たどり着いたのが噂には聞いていたヒッピー村。超孤独な生活から、愛の塊みたいな村について、かなり反動は大きかったですね。「俺、こっち側の人間だ」って思いました(笑)。

ー どんな村でしたか?

都会だと、みんなが同じような定規の上に乗っかっていて、そこからちょっとでもずれると排除されるじゃないですか。それに対して、この村ではみんなが違う方向を向いてることを良しとしてる。だって、人間ってそういうもんじゃんって。極端な例で言えば、ちょっとおかしくて、会話が成り立たなくて、ボーっとしているような人も、その村を形作っている必要な一員。その人がかけたら、おもしろさが一つかけてしまう。人に対しての器の大きさだったり、許容する心がぜんぜん違う。たとえば、ホームレスが迷い込んできたら嫌な顔するじゃないですか。でも、その村では受け入れる。会話が成り立たなくても、相手の話を目を見てちゃんと聞く。そういう単純な人間愛にあふれた村でした。

ー 共存の概念が、都会とは大きく違うということですね。

そうですね。そこで学んだのは、本当の人間らしさ。本来一人一人が超個性で、それのぶつかり合いで生きてるということ。でも、競争が激しい社会だと、それをむき出しにできない。不都合が多いから。だから、ある程度平にならされてしまうのがもったいない。人生はそんなに長くないし、おもしろいものを内側に持っているのに、ずっと沈めておかないといけないのはつまらないと思いました。

ー そこでの修行が自信につながったんですね。

杉村太蔵さんの時と一緒で、そこにいる人たちは自分に対しての自信の桁が違った。表情一つ取ってもかっこいいし、存在感もすごい。最初は同じ感覚で、写真を撮りにいけなかった。でも、そういう自分を変えるために、ようやくたどり着いたわけだから、ここで撮らなきゃ終わりだなと思って。自分の内側を鍛えつつ、一人ずつ撮れるようになっていきました。

絶対的に自分の内側を鍛えなきゃいけないところにいる人は、本当に個性が強い。自分の個性に蓋をしていなくて、丸出しにしてくる。いきなり、そう来ると相手の個性に対して、自分の無個性でバランスが取れていないので萎縮してしまいます。記念写真を撮るんじゃなくて、その人のエナジーみたいなのを写真に取り込むとしたら、最低でも同じところに立たなきゃいけない。そういう意味では、かなりハードな修行でした。

ー すべてフィルムで撮影されたのはなぜですか?

フィルムって構造的にも、シャッターを開いてその場のものをダイレクトに焼き付けるんです。そこに自分なりの可能性を感じました。単純に“味”っていうけど、個人的にはビジュアルの一歩先があるという感覚を持っていて、それを自分で表現できるようになりたかったんです。フィルムが優れてるとかじゃなくて、アートとしての匂い、目に見える以上の要素が入っていないと、見る人は何も感じられないんじゃないかなと思って。自分の中でのテーマに「愛」はずっとあったので、そういう部分を焼き付けるにはフィルムが適していると感じたんです。メッセージとしてダイレクトだし、世の中がよりシャープになる中で、「愛」だの「平和」だのを言うやつは必要だと思っています。

ー 総じて、この旅ではかなりの収穫があったというわけですね。その後、個展を行う場所を日本に決めたのはなぜですか?

仕事を辞めた時に否定的な意見が多くて、「なんでうまくいっているのにわざわざ危険を冒すの?」と言われました。みんな積み上げた上にいるから、動きが取りづらくて、モヤモヤを抱えたまま今までの連続を繰り返すんだと思うんです。でも、意外と思い切りをつけて動いた先には、未知なる世界が待っているもので。モヤモヤしているくらいならそれを解消する方が楽しいと思うんです。俺自身が育ったのは日本だし、ずっとそういう“閉塞感”を味わいながら生きてきたので、自分のメッセージの矛先は日本だと思いました。なので、ある程度写真が撮れたタイミングで戻ることにしたんです。

ー 個展が終わった今、これからの活動の展望はありますか?

自分の中でのテーマを、できるところまで追い続けていきたいです。ビジュアルを通して、伝えたいメッセージのある村は世界中に点在しているので、全部まわってポートレートを撮っていきたいです!