ジェイムス オザワ|写真家

満たされるにつれて、“不満の種”が育ってきた

ー 扉は見つけられたんですか?

いや。そんなこんなで、モヤモヤとした日々を送っていたら師匠から連絡がきたんです。俺が、何をしたらいいか悩んでいるのを見越して声をかけてくれたらしくて。知人のカメラマンさんのアシスタントが卒業するタイミングで、会いに行ってみたらと勧めてくれました。そこで出会ったのが、実質の技術的な師匠。その人は厳しかったなぁ……。でも、ようやくカメラマンとしての第一歩を踏み出せた感じがしました。その方のところには、1年ほどいました。アシスタントなのに、薄給じゃなくて、そこそこ生活できるお金をもらっていました。それもあって、大丈夫かなと思っていた矢先に、今の仕事の状況を説明とともに、明日で終わりにして欲しいを言われて……。かなり衝撃の展開でした。

ー 難しいところですよね。フリーランスの運命というか……。次の日からは、どうされたんですか?

何もすることがなくて……。でも、アシスタントも1年やったし、次の師匠を探すっていうのもアホくさいなと思って。やるしかないと思い立ち、たいして作品もないのにあちこちに売り込みへ行きました。ダメ元で出版社にバンバン電話して。そしたら、決して良い仕事ではないかもしれないけど、少しずつ仕事をもらえるようになってカッスカスのフリーランス人生を送っていました。でも仕事もバンバン入ってくるわけじゃないし、素人に毛が生えたくらいの状態をハッタリでカバーしていたので、まったく先が見えませんでした。その時に、出版社の募集を見つけて、ファッションの方向に入りたいと思っていたので受けたんです。

ー どうしてファッションの方向に舵を切ったんですか?

仕事をしていく中で、人を撮りたくなったんです。ライフスタイル誌もあるにはあるんだけど、そんなに多くはないので。もっと人の写真を撮れそうなのが、ファッションで、出版社の内側も知りたかったのでチャンスかなと思って。そこでは、2年働きました。雑誌の仕事でもたまにある、純粋なポートレート写真。たまにそれがきた時に、自分の中に一番撮っていて楽しかったんですよね。

ー その後、改めて独立されたんですよね。

出版社を辞めたタイミングで、改めてフリーランスをはじめました。お金に関してはそんなに考えなくても良いようにはなったし、内容的にも前に比べたら楽しい。でも、写真への入りが商業だったので、専門学校を出てきたゴリゴリの写真好きがうらやましかったんです。生活のための写真っていうのが最初にあったので、それをやりながらポートレートを撮りたいと思った時に、それとあまりに遠いところにいるなって。写真という括りで見れば、やりたいことをやっているし、ある意味では若い年齢で「写真で生活する」というのを達成しているんですが、本当に撮りたいものを撮っているかと言われたらそうじゃなくて……。圧倒的に何かが足りなかったんです。

ー 仕事をポートレートの方に切り替えようとは思わなかったんですか?

杉村太蔵さんを取材した時に、人間力とオーラに気押されてしまって……。決して見た目にインパクトがあるわけではないのに、出会い頭にグッと一瞬で精神的な優位に立たれたんです。その時の感覚がずっと残っていて。ポートレートを撮りたいって心から思ったはずなのに、カメラを向ける前から“食われた”のははじめてでした。これじゃダメだって思った時に、経験値も含め、自分に対する自信の量だと思った。じゃあ、今までの仕事をコツコツこなしていく中で、今以上の自信がどうやってつくかと考えたんですが、そんなチャンスはないなと思いました。だったら、自分が一番かっこいいと思う道に進むしかないなって。思うことをやりきれば、自分が最強と思えるくらい、自分に対して自信がつくというか。

ー その答えを求めて、修行の旅に出られたんですね。

仕事の延長線上にそれがどうしても見えなくて。どんどん不満の種が育ってきて、感情が限界にきたので、一旦商業写真を辞めました。コツコツやってきた仕事を切ってノープランでどこかへ行く将来への不安よりも、不満を抱えたままモヤモヤしている方がいやだったんです。今やりたいことを引き出しにしまっておかないで、全部やれば自信がつくかなと思って。根本的にそれがないと、人の内側を引き出すポートレートは撮れないと感じました。相手が大きいほど萎縮してしまって、その人が見えている通りの写し方しかできない。自分の中で現状を変える必要があると思い、旅に出る決心をしました。