瑞慶覧 宏至|豆腐屋

豆腐屋という職業が嫌いだった。

豆腐屋の次男として生まれたんですが、昔から「豆腐屋」と言われることにはコンプレックスがあって。友達の父さんはサラリーマンだったのでスーツを着て会社に行くわけだけど、僕の父は毎日エプロンを付けながら汗を流して働いていてかっこ悪いなと思っていた。その反動もあってか、美容師に憧れたんですよね。僕は頭がわるかったし、うーまく(やんちゃ)だったので、中学を卒業してから夜間制の美容学校に通い始めました。今は高卒じゃないと通えないと思いますが、当時は中卒でも通えたんですよ。昼間は美容室で見習いとして働かせてもらい、夜は学校で勉強するという生活を送っていて、卒業してから23歳くらいまでは美容師として働いていました。

元々美容室と飲食店が1フロアに共存しているお店を作るのが夢だったんです。だから、その後思い切って美容師を辞めて、当時勢いのあった福岡の飲食店に入ることにしました。そこは有名なアーティストが来るようなお店で、僕は歩合制(お客さんを何人呼べるか)で働かせてもらっていました。お客さんがゼロでも、まかないくらいは食べさせてもらっていましたし、昼間は掛け持ちで別の仕事をして開業資金を貯めていました。そして、26歳の時に友人と共同経営で念願のお店を福岡に出店したんです。ところが、オープン間近に家業を継いだ兄が事故で落命してしまって……。父もその何年か前に亡くなっていたので、急遽実家の会社をどうするかという問題が降りかかってきました。とは言っても、お店を立ち上げたばかりだったのですごく悩みましたね。結局、1年間だけお店の運営をやって、自分を育ててくれた豆腐屋に恩返しをしようと思い地元へ戻ることにしました。