赤松 ハルカ|ミュージシャン

就職している場合じゃない

ー 赤松さんは昔から、ソロで活動されていたんですか?

赤松:いえ、元々はバンドとして活動をしていました。ずっとバンドがやりたくて、大学に入った時に軽音楽部へ入部したんです。そこで出会った人たちと4人組のロックバンドを結成して活動していました。軽音楽部には、流行り好きだったり、マニアックな音楽が好きだったり、いろんなタイプの人がいたんですが、私が仲良くしていた人たちは、ロックンロールやパンク好きが多かったんです。いわゆる、革ジャンにリーゼント頭みたいな感じの。世代的に、「ミッシェル・ガン・エレファント」の全盛期だったというのもあるかもしれません。そういう背景もあって、ガレージロックをやりたいねっていう流れになったんです。

ー ちなみに、当時のバンド名は?

赤松:ガルシア……(笑)。私以外はみんな男で、ロックスターになりたい、なれるって本気で思っていて、みんなでスーツを作りにいったりしていました。たぶん、全員バカだったんだと思います(笑)。

— 楽しそうですね!(笑)。どんなペースで活動されていましたか?

赤松:週に2回のペースでリハーサルに入っていたので、メンバーとはかなり長い時間一緒にいました。結成してから、ライブを少しやったんですが、学校関係の場所で演奏することが多くて。もっと一般のバンドに混じって演奏したいという気持ちが強くなってきた頃に就活の時期がきて……。

— 音楽系の大学というわけではないんですよね?

赤松:普通の大学ですよ。私は心理学を専攻していましたし、1人は鍼灸を学んでいました。あとの2人はなにをしているかよくわからないメディア学科だったかな。根っこは不良っぽさがゼロの人たちが集まったので、その反動でロックンロールがかっこいいと思っていたんだと思います。要するに、不良に憧れている人たちですね。不良ではなくて(笑)。

— ええ! 1人くらい保守的な人はいなかったんですか?

赤松:まったく悩まなかったですね、ははは。親にはめちゃくちゃ怒られましたが、電話越しでしたし、辞めちゃったものは仕方ないよねって振り切りました。

— 就活と並行して、バンド活動を続けられたんですか?

赤松:集団催眠というか、変なテンションになってしまって。私は内定をいただいていたのにも関わらず、辞退しました。あの時は、なんにも考えていなかったな。

— 悩まなかったんですか?

赤松:まったく悩まなかったですね、ははは。親にはめちゃくちゃ怒られましたが、電話越しでしたし、辞めちゃったものは仕方ないよねって振り切りました。

— 向こう見ずですね! そして、卒業されてからはバンド活動をメインに?

赤松:都内のライブハウスを中心に活動していましたね。バンドマンの先輩方に紹介してもらって、ツアーを組んだこともありました。車で行く貧乏ツアーだったんですが。若い時は楽しかったけど、もう2度としたくないですね(笑)。今でもメンバーが集まると、ちゃんとホテルに泊まりたいよねって、笑い話になることが多いです。楽曲もすべてオリジナルでやっていました。ロックスターになりたかったので(笑)。

— 貧乏ツアー、楽しそうじゃないですか(笑)。どうして、解散にいたったんですか?

赤松:精力的に活動していると、良い話をいただいたり、大きなところでライブができたりして、“良い感じ”なのかもって思うんですよ。そういう気持ちがあったので、ずっと活動をしていたんですが、その反面で長く活動をしていると喧嘩ばかりするようになるんです。どーんと落ち込んだ時期があったので、話し合ってすっきり辞めました。それから、ほかのメンバーは就職したんですが、私は弾き語りのお話をいただいていたのでソロ活動をはじめました。解散は辛かったですが、ソロでも活動できるということが心の支えになりましたね。

— ええ! 1人くらい保守的な人はいなかったんですか?

赤松:精力的に活動していると、良い話をいただいたり、大きなところでライブができたりして、“良い感じ”なのかもって思うんですよ。そういう気持ちがあったので、ずっと活動をしていたんですが、その反面で長く活動をしていると喧嘩ばかりするようになるんです。どーんと落ち込んだ時期があったので、話し合ってすっきり辞めました。それから、ほかのメンバーは就職したんですが、私は弾き語りのお話をいただいていたのでソロ活動をはじめました。解散は辛かったですが、ソロでも活動できるということが心の支えになりましたね。