小林 悦子|芸術家

探していた場所に巡り合った。

中学生の時に、なんとなく将来は外国に住もうと思っていたんだよね。そのくらいの頃って、みんな思ったりするでしょう?高校を卒業してからは、趣味で絵を描きながらずっとバイト生活をしていた。今思い返せば、その時も自由な暮らしをしていたんだけど、好きなことで生きていくには窮屈な感じがしていた。私は美大を出ていなかったから、そういうちゃんとした経歴がないといけないんじゃないかって勝手に思っていて……。それに外国へ行ったら絵だけを描いて生きていけるっていう理由のない確信みたいなものがあったんだよね。それで、28歳の時に「絵を描いて生きていこう」っていう気持ちだけを持って、単身パリへ行った。向こうについてからは、とくに計画があるわけでもなかったし、フランス語を満足に話せるわけでもなかったので、気の向くままに街を歩いていた。そしたら、スクワット「59 RIVOLI」に出会ったんだよね。

参照:https://motion-gallery.net/projects/ETSUTSU

そこは学園祭みたいにカオスな雰囲気で、「なんだこれ!」って思ったよね。日本でいう7階建てのビルなんだけど、当時はまだアーティストもほとんどいなくて、モーリシャス島から来た芸術家がいるくらいだった。最初にその人と仲良くなって、ブルちゃん(ブルーノ)たちとも知り合った。そういったこともあって、アトリエに住むことになったんだよね。と言っても、フランス語がまったく話せなかったから、ただひたすら絵を描くしかなくて必然的にずっと描いていたよ。みんなそうだと思うけど、理想の形って得意なことや好きなことでお金を稼ぐことじゃない?したくない仕事をして仕方なくお金を稼ぐというのは、ちょっとへんてこりんな仕組みだよね。しかも、貧乏なアーティストは、自分の家があってもアトリエを借りるお金まではないじゃない。私にとって、絵を描いて生きるための理想的な場所が「59 RIVOLI」だったんだよね。