ブルノ デュモン|芸術家

「59Rivoli」誕生秘話。

僕が初めてスクワットで絵を描くようになったのは、1998年。それは、ピカソ美術館の前にあった「ソガピ(ピカソの逆さ読み)」というスクワットだった。それが楽しくて、いくつかのスクワットを転々としたよ。ある時、空き物件専門の火事場泥棒的な人から、「あそこに良い場所があるよ」と教えてもらった場所が「59Rivoli」。そして、1999年の11月1日に、僕と、ガスパール、カレックスの3人でアタックした。なぜその日を選んだかと言えば、寒い時期には大家さんも簡単には追い出せないから、それを狙った。当然、ほかのスクワットと同様に数ヶ月で退去させられる覚悟はしていたんだけど、2001年にパリ市長になったドラノエさんが、「59Rivoli」を買い取るという公約を掲げていて、本当に買い取ってくれた。もちろん、彼にとっても選挙の人気取りという目論見もあっただろうけどね。

参照:https://culturexchange1.wordpress.com/2017/01/24/59-rivoli-revolutionizing-the-museum/

パリ市が「59Rivoli」を買い取ることにした理由はほかにもいくつかあると思う。基本的にスクワットは閉鎖的でイメージも良くなかった。部屋の中でドラッグや悪いことをしている“エセアーティスト”も多かったからね。だから、「59Rivoli」は、7階建てのアパートを全部掃除し、アトリエのドアを外して誰もが入れるオープンな場所にした。ほかのスクワットもたまにオープンすることはあるけど、基本的には閉まっているからね。僕たちのところは、週1日の休みを除けばずっと空いていたから、評判が良くて世界中のメディアが取り上げてくれた。それで知名度も上がってきたから、パリ市長もこれは使えると思ったんだろうね。あと、ビジネス的な視点で言えば、一度スクワットされた建物は値段が下がっちゃうんだ。だから、パリ市も安く買い取れたんだろう。

参照:https://culturexchange1.wordpress.com/2017/01/24/59-rivoli-revolutionizing-the-museum/

たしかに市に買い取ってもらえたことで現在も存続しているけど、それの弊害もあったよ。「59Rivoli」はパリにある現代アートの美術館の中でも上位に入るほど集客があったんだけど、建物自体が古いので非常階段を付けたり、大規模な修繕工事をしたんだ。昔は、良い雰囲気の天井や床、暖炉なんかもあったのに、今では変わってしまって火も起こせない。それは残念だね。僕はスクワットではなく、アーティストが好きなんだ。パリは、アーティストにとって狭いし、家賃も高い。道で作品を売るにも、すぐに警察に怒られてしまう。だから、アーティストたちにとって必要な場所を作った。それが、「59Rivoli」なんだ。